12/27(土)~31(水) 釜石
年末年始は岩手に行ってきました。
27日から大晦日までは釜石に滞在し、まだ洗浄・データ化されていないアルバムを整理して洗浄ボランティア団体へ発送する準備などを行いました。
震災後時間が経ってからお届けのあった写真もあります。それらも今回再整理し、洗浄・データ化できるようにまとめました。
現在、複数の団体で手分けをして洗浄・データ化が進んでいます。全般的には先が見えてきたように感じました。課外でお預かりしている写真も少しでも早くアルバム化し、データと共にお返ししたいと考えています。
お昼や夕食はたいていこちらの大町商店街の周辺で食べていました。
大町商店街は駅から港に向かう間の主要な商業区です。震災前はアーケードがありました。現在空地になっているところも以前は隙間なくお店があり、その後ろにも飲食店街や住宅がありました。
現在は主要なホテルがこの通りにあり、営業を再開した商店も一部あります(ですが空地は多いです)。
釜石の夏の風物詩「釜石よいさ祭り」はこちらの通りをメインに開催されます。
以前製鉄所の敷地だった場所には「イオンスーパーセンター 釜石店」ができました。
右奥に見える煙突は新日鉄製鉄所の煙突です。
大町商店街には『新華園本店』さんというラーメン屋さんがあります。
釜石では老舗のお店で、最近は大手メーカーからカップめんも発売されるそうです。
(明星 新華園本店 釜石ラーメン)
あっさりした醤油ベースの細麺で、中華風のスープが絶妙でした。
お店の前には「釜石ラーメン」というのぼりが出ています。
釜石のラーメンは全般的にあっさりした醤油ベースのお店が多く、ちぢれ細麺だそうです。
古くから愛されてきた地域に根ざしたラーメン屋さんです。
大町商店街より山側に少し入ったところには青葉公園という広場があります。
青葉公園内には現在仮設商店街(AB棟・CDE棟)があり、震災前に近隣にあったお店が営業を続けています。
個人的にお薦めしたいお店はランチに行った『洋食あべ』さん。
もはや言葉では言い尽くせません。とにかく美味しいのです。
この時はしょうが焼を食べましたが、前回食べたスパイシーフライドライスも最高でした。
ご主人さまがまたとてもよい方で、楽しいひとときが過ごせます。
大晦日には年始の作業に向けて陸前高田へ移動いたしました。
三陸鉄道の南リアス線、JRのBRTを使い約2時間の道のりです。
南リアス線は津波による影響でしばらく運行が止まっていましたが、昨年の春に全線が開通しました。今後はJR山田線の釜石-宮古間も移管される予定だそうです。
久慈から盛までが三鉄一本で結ばれる日もいずれやってくることだろうと思います。
(K1)
1/1(木)~4(日) 陸前高田
大晦日の夜に釜石から陸前高田へ移動し、課外からこの日夜行バスでやってきたOさんと合流しました。そして海辺のあらいぐまさんとねこの手さんの皆さんともお会いしました。翌日から『陸前高田思い出の品』さんへ行き、『デジぐま』作業で切り出したデータとそのプリントの返却をしました。
思い出の品の返却会場は現在このような感じです。
以前は部屋の中心にも2列の棚があり、写真がびっしりおかれていましたが、それらの棚はなくなり畳敷きの部屋になりました。畳になってからも随分と時間が経ちますが、写真はさらに返却が進み空いた棚にはサッカーボールなどの物品が置かれています。
反対側の写真が置かれているスペースです。つくづく返却が進んだ結果なのだなと実感しました。ですが、まだこれだけの写真アルバムが残っているということでもあります。スタッフの皆さんは出張返却会なども含めて、毎日返却業務を行っています。
『デジぐま』写真をプリントした写真です。
初期に洗浄されたもので、流れ落ちてしまった写真を中心にプリントしました。
劣化や流化が多く像が残らなかった写真も、データを撮っておいたことでこのように後から復元することができます。『デジぐま』については過去記事を参照していただければと思います。
今回の返却では約2000枚のデータと約1400枚のプリント写真を返却することができました。
プリントした写真はアルバムごと整理します。Oさんに予め小分けにしていただいていたので助かりました。
データと写真を照らし合わせ、紐付け確認をします。
返却された写真や再編されたアルバムもあります。プリントしたほうがよい写真が見つかった場合は、その場でフォトプリンターを使って出力します。
プリント写真と現本のつけ合わせをしながらアルバムに入れてゆきます。
職員の方と一緒にアルバム入れ作業を行いました。
末尾にデータCDを入れてひとまず完成です。
アルバムがほころびている場合はこの際に修繕しておきます。
左がこれから作業するアルバムです。中が作業中のアルバム。右が完成したアルバム。
デジぐまの他には、最近お届けのあったアルバムの処置もしました。
ねこの手さんがデータ撮影・はがし作業を行いました。
現在の陸前高田の様子を少し。
高田町のかさ上げ工事は5ヶ月前に来たときよりかなり進んでいました。
かさ上げに使う土はベルトコンベアーで運ばれています。
コンベアーは枝分かれし各区域に効率よく運搬される仕組みになっていました。先端部が可動するそうです。
土は気仙川を渡る『希望の架け橋』を通り、高田町へ運ばれていきます。
気仙町では毎日正午過ぎに発破があり、山を切り崩しています。
その土が現在、対岸の高田町のかさ上げ工事で使われています。
気仙町の諏訪神社へお参りしました。
震災時は多くの方がこの神社に避難したそうです。
参道からは街が一望できます。
参道の随所に震災前の街並みの写真が掲示されています。
気仙町にあったボランティア受け入れ先の「復興サービスステーション(P@CT)」さんは1/18より米埼町に移転されたそうです。陸前高田でボランティアをお考えの方は問い合わせしてみるとよいのではないかと思います。
漁業支援や遺留品捜索活動などを行っているそうです。
課外でも捜索の際に見つかったアルバムを洗浄したことがありました。
短い滞在期間でしたが、刻々と変化していく陸前高田の姿を感じることができました。
(K1)
年末年始は岩手に行ってきました。
27日から大晦日までは釜石に滞在し、まだ洗浄・データ化されていないアルバムを整理して洗浄ボランティア団体へ発送する準備などを行いました。
震災後時間が経ってからお届けのあった写真もあります。それらも今回再整理し、洗浄・データ化できるようにまとめました。
現在、複数の団体で手分けをして洗浄・データ化が進んでいます。全般的には先が見えてきたように感じました。課外でお預かりしている写真も少しでも早くアルバム化し、データと共にお返ししたいと考えています。
お昼や夕食はたいていこちらの大町商店街の周辺で食べていました。
大町商店街は駅から港に向かう間の主要な商業区です。震災前はアーケードがありました。現在空地になっているところも以前は隙間なくお店があり、その後ろにも飲食店街や住宅がありました。
現在は主要なホテルがこの通りにあり、営業を再開した商店も一部あります(ですが空地は多いです)。
釜石の夏の風物詩「釜石よいさ祭り」はこちらの通りをメインに開催されます。
以前製鉄所の敷地だった場所には「イオンスーパーセンター 釜石店」ができました。
右奥に見える煙突は新日鉄製鉄所の煙突です。
大町商店街には『新華園本店』さんというラーメン屋さんがあります。
釜石では老舗のお店で、最近は大手メーカーからカップめんも発売されるそうです。
(明星 新華園本店 釜石ラーメン)
あっさりした醤油ベースの細麺で、中華風のスープが絶妙でした。
お店の前には「釜石ラーメン」というのぼりが出ています。
釜石のラーメンは全般的にあっさりした醤油ベースのお店が多く、ちぢれ細麺だそうです。
古くから愛されてきた地域に根ざしたラーメン屋さんです。
大町商店街より山側に少し入ったところには青葉公園という広場があります。
青葉公園内には現在仮設商店街(AB棟・CDE棟)があり、震災前に近隣にあったお店が営業を続けています。
個人的にお薦めしたいお店はランチに行った『洋食あべ』さん。
もはや言葉では言い尽くせません。とにかく美味しいのです。
この時はしょうが焼を食べましたが、前回食べたスパイシーフライドライスも最高でした。
ご主人さまがまたとてもよい方で、楽しいひとときが過ごせます。
大晦日には年始の作業に向けて陸前高田へ移動いたしました。
三陸鉄道の南リアス線、JRのBRTを使い約2時間の道のりです。
南リアス線は津波による影響でしばらく運行が止まっていましたが、昨年の春に全線が開通しました。今後はJR山田線の釜石-宮古間も移管される予定だそうです。
久慈から盛までが三鉄一本で結ばれる日もいずれやってくることだろうと思います。
(K1)
1/1(木)~4(日) 陸前高田
大晦日の夜に釜石から陸前高田へ移動し、課外からこの日夜行バスでやってきたOさんと合流しました。そして海辺のあらいぐまさんとねこの手さんの皆さんともお会いしました。翌日から『陸前高田思い出の品』さんへ行き、『デジぐま』作業で切り出したデータとそのプリントの返却をしました。
思い出の品の返却会場は現在このような感じです。
以前は部屋の中心にも2列の棚があり、写真がびっしりおかれていましたが、それらの棚はなくなり畳敷きの部屋になりました。畳になってからも随分と時間が経ちますが、写真はさらに返却が進み空いた棚にはサッカーボールなどの物品が置かれています。
反対側の写真が置かれているスペースです。つくづく返却が進んだ結果なのだなと実感しました。ですが、まだこれだけの写真アルバムが残っているということでもあります。スタッフの皆さんは出張返却会なども含めて、毎日返却業務を行っています。
『デジぐま』写真をプリントした写真です。
初期に洗浄されたもので、流れ落ちてしまった写真を中心にプリントしました。
劣化や流化が多く像が残らなかった写真も、データを撮っておいたことでこのように後から復元することができます。『デジぐま』については過去記事を参照していただければと思います。
今回の返却では約2000枚のデータと約1400枚のプリント写真を返却することができました。
プリントした写真はアルバムごと整理します。Oさんに予め小分けにしていただいていたので助かりました。
データと写真を照らし合わせ、紐付け確認をします。
返却された写真や再編されたアルバムもあります。プリントしたほうがよい写真が見つかった場合は、その場でフォトプリンターを使って出力します。
プリント写真と現本のつけ合わせをしながらアルバムに入れてゆきます。
職員の方と一緒にアルバム入れ作業を行いました。
末尾にデータCDを入れてひとまず完成です。
アルバムがほころびている場合はこの際に修繕しておきます。
左がこれから作業するアルバムです。中が作業中のアルバム。右が完成したアルバム。
デジぐまの他には、最近お届けのあったアルバムの処置もしました。
ねこの手さんがデータ撮影・はがし作業を行いました。
現在の陸前高田の様子を少し。
高田町のかさ上げ工事は5ヶ月前に来たときよりかなり進んでいました。
かさ上げに使う土はベルトコンベアーで運ばれています。
コンベアーは枝分かれし各区域に効率よく運搬される仕組みになっていました。先端部が可動するそうです。
土は気仙川を渡る『希望の架け橋』を通り、高田町へ運ばれていきます。
気仙町では毎日正午過ぎに発破があり、山を切り崩しています。
その土が現在、対岸の高田町のかさ上げ工事で使われています。
気仙町の諏訪神社へお参りしました。
震災時は多くの方がこの神社に避難したそうです。
参道からは街が一望できます。
参道の随所に震災前の街並みの写真が掲示されています。
気仙町にあったボランティア受け入れ先の「復興サービスステーション(P@CT)」さんは1/18より米埼町に移転されたそうです。陸前高田でボランティアをお考えの方は問い合わせしてみるとよいのではないかと思います。
漁業支援や遺留品捜索活動などを行っているそうです。
課外でも捜索の際に見つかったアルバムを洗浄したことがありました。
短い滞在期間でしたが、刻々と変化していく陸前高田の姿を感じることができました。
(K1)
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