6〜8月作業
8/14(日
アルバム・データ返却

最後の1冊に取り組みます。
ラミネートパウチのアルバムでした。ラミネートの中に水が入り、そのまま長期間が経過してしまったようでした。少し時間が掛かることも予想できたため、最後にこの作業を予定していました。内側の劣化が深刻でしたが、それでもほとんどの写真像が残っています。数百枚の写真を編纂した素晴らしい家族アルバムでした。何としてもこのアルバムを救いたいと思いました。
20151227
最初にしたことは中から水を抜くということです。しっかり乾燥させた後、吸湿剤でさらに水気を除きました。乾いたところでスキャニングを行い、カビやバクテリアによる要素を可能な限り取り除いていきました。これによりある程度は劣化の進行を食い止めることができたのではないかと思います。カビの活性を抑えるために、最後にエタノールを噴きました(2015/12/27)。
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それでも長期間の保管ともなると、再び浸食が進んでいくことも予想できました。方策を尽くした上で、データでできる最良の手段に頼ることにしました。データ修復をした上で複製アルバムを作ります。

修復にはこれまで幾度か取り組んだこともありました。工学院大学さんのプロジェクトへ参加したり(あなたの思い出まもり隊プロジェクト)、個人的に依頼を受けたりもしました。いずれも持ち主の方から直接依頼されたケースで、これから持ち主の方を捜さなければならないという写真ではありません。
「持ち主さま不明の写真」を預かっている課外のあらいぐまの活動では、基本的に修復は難しいと考えていました。それはあまりにも時間が掛かり過ぎてしまうため現実的ではないためです。
時間を掛けすぎてしまうということは、他の作業を疎かにし、返却を遅らせてしまうことにも繋がります。この度の依頼で優先しなければならないことは「データ化すること」。そしてそれに伴った「返却活動の再スタート」を切ることでした。

ですので、例外的な作業です。修復と複製以外に保全する手段がないと思ったため、他のアルバムすべてを返却した後に行いました。データ公開が始まることがあれば、途中でも切り上げるつもりでした。それでもできる限り綺麗にして、将来的にも安心な形でお返ししたいと考え進めました。

修復作業は2ヶ月余りに及びました。補正と切り出しの後、カビとバクテリアによる跡を消していく作業が約1ヶ月半ほど続きました。心掛けたのは見た目にも辛く感じてしまう浸食の跡を減らしていくことと、写っている方とその周囲の作業に慎重にあたることです。修復にも段階がありますが、あくまで元写真に戻すということに努め、過剰な修繕は行いませんでした。課程を詳細に記すこともできますが、これ以上のことは割愛させていただきます。
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データができた時は8月になっていました。早急に返却準備にかかります。
この時点でもう一度ひと通りのスキャニングをおこないました。初回データにはある程度の補正を入れていたため、完全オリジナルのデータが必要だということに思い至りました。

その頃になり、突然マンションの空き室が借りられるようになり、このような部屋で作業しました。空いている時はいつでも使ってよいそうです。あと数ヶ月早かったら・・ と悔やんだものですが、いつかまた作業をするときは利用させていただきたいと思っています。
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最後にプリントをして1冊のアルバムを作りました。ある程度最初の状態に近づけたのではないかと思います。オリジナルアルバムは状態に応じて3つの袋に入れ閉じました。長期的な保管になっても、持ちこたえられるのではないかと思います。

最後の返却です。6回目になります。
すべて終わりました。
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アルバムをお返しする際に、これまでお借りしていた備品と、こちらで余った写真包装類などを同梱しました。パソコンもあります。
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8月14日、発送しました。
同日付けでデータの返却も終わりました。
これでこちらの手元には何もなくなりました。

データ化したことで返却活動はある程度は運営しやすくなったのではないかと思っています。可能性が広がることを期待します。そして写真を再洗浄したこと、アルバム装丁したことにより長期的な保管にも耐え得るものになったのではないかと確信しています。
長きに渡った作業を終了します。

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個人的な話になりますが、このような活動に携わるきっかけになったのは、2011年4月、釜石市在住の方の日記報告を伝える機会があり、それに仕事として携わったことが最初でした。3月11日から2週間後までのことが克明に記録されており「自分のために書く。後世のために書く。」と始まるその第一声に、強く胸打たれたことが原初の動機としてありました(その後書籍化されました『東日本大震災を生き抜く』鈴子陽一氏 著)。
その半月もしない内に実際に釜石へ訪れることになったのですが、その時のことは今もって忘れるということができません。散らばっていた写真をまとめたりもしていましたが、その時はこのような形で再び釜石市に関わることになるとは思ってもいませんでした。
その後の釜石が変わっていく様子も、少しずつ実感を得ています。自分の生まれ育った街と同じように変化を受け止め、これからに期待してきました。

お預かりしていた写真にあるのは、震災前の釜石です。そこには市民の方々の生きてきた証が刻まれており、釜石市の歴史そのものと受けとめ作業に当たってきました。釜石へ訪れる度に、それが現在と繋がるものであるという実感を深く感じます。

これから返却を担当される職員の方々のご苦労を思うと、直接力添えになれない非力さを痛感するばかりですが、どうかその後のことをよろしくお願いしたいと思っております。当方には下準備までしかできませんでしたが、何卒よろしくお願いします。不備がありましたら再び修正に上がります。返却活動を末永く見守っております。

写真をお探しの方がいらっしゃいましたら、このような写真がまだあるということを、記憶の片隅に留めていただけましたらと思います。気が向いた時で構わないと思いますが、いつか確認をしていただければと思います。

それでは。
(K1)